ここ最近テレビで報道されている情報の一つに地震情報がある。
地震大国、日本では切っても切り離されない災害の一つだが、私のいるここではないどこかで起こっている事実。
その真相をニュースという形で知る日々のなかで思うこと。
何が本当で何が嘘か
ここ1週間トカラ列島付近で地震が多発しているニュースを目にする。
コロナ禍の時も情報が溢れて混乱をまねいていたし、米不足の件でもそうだ。
SNSが盛んになり情報を手に入れることが容易くなったこの世の中で何が真実で嘘なのかもはやわからない。
自分で何が正しくて誤っているのか出来事の背景まで考えて情報を判断するという力を身につけることが自分の身を守ることにも繋がるよなとつくづく思う。
海外のニュースでの情報と日本国内のニュースでの情報でさえ違った内容が放映されている。
数多くの情報が出回るこの世の中で1つの出所からの情報ではなく、色んな角度から情報を得ることを心がけるようになった。
わからない不安が起こす負の連鎖
コロナが流行り始めた頃も然り、今回の九州地方の地震でも、いざ自分の身に降り掛からなければ現実味がない。
自分がコロナに感染してみないと実態はわからないし、地震も九州地方に住んでいないと揺れていないのだから実感が湧かない。
けれど、実際に身に降りかかることよりも降りかかっていない現実のほうが、
人々は不安で食糧や水を備蓄しなければとスーパーに買いに走る。
何回もそういった場面を経験をしてきているのに大多数の人は普段から備蓄しておこうとはならない。
そういった負の連鎖でスーパーから水や食糧が消える。
普段から家族分の備蓄をサイクルして備えていればこうはならないとは皆がわかりつつも、毎回のとこながら同じ現象が起きる怖さがある。
たとえ、備蓄していたとしても足りないのではないかと不安になり買いに走る。
実際のところ経験をしているのは震源地付近の人々だけで日本国内でみれば経験していない人の方が大多数だ。
ニュースをみて経験した気になっているだけで1週間も経ってしまえば、
人ごとのように当たり前の日常に戻ってしまうのだ。
古来の先人たちは、自然災害や疫病の蔓延は神の怒りだ、災いだ、呪いだと形のないものの恐怖をどうにか自分たちのわかるものに落とし込んで乗り越えていこうとしてきた。
しかし、これだけ文明が進歩し、医療が発達して解明された病気や科学的根拠のある事象だとわかるようになった今でも人々は恐れ慄き、恐怖が消えることはないのかもしれない。
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